パンケーキはブスの食べ物

あくまで可愛いのはパンケーキであってわたしではないのだ。

春に咲く花の名前が分からなくっても、一緒に見る人がいる幸せを感じたい

技術。

知識。

体力。

容姿。

人脈。

 

もし、認知症になってしまったとき。

どれだけ若いころ勉強が出来たとしても、

細い裏道を知っていたとしても、

車の運転が巧みだったとしても、

アイドルでも、プロ野球選手だったとしても、

それらはすべて意味をなさない。

失われていくものとして、価値を擦り減らせていく。

 

その中で最後まで残るものがある。

人間関係である。

仮に自身が認知症になって相手の顔がわからなくなっても、関係性が途絶える可能性は低い。

自分の孫のことを親せきの名前で呼んだとしても、孫は孫である。

 

 

要するにです。

じーさんばーさんになって忘れたり思い出せなくなったり思うように体が動かなくなっちゃったり若いころみたいな肌と髪がなくなっちゃっても、

友達は一生友達だし、子どもは子どもだし、孫は孫だし、嫁は嫁。旦那は旦那。

一生懸命覚えたはずの数学の公式も野球のルールも道路標識もスマートフォンの使い方も忘れちゃったって、

人間関係はなくなったりしないよってことです。

相手の名前が思い出せなくたって、相手が覚えてくれさえすれば消えてなくなったりしないんだって。

 

ニンゲン、生きていて最後に残るのは人間関係。

葬式に何人来るか。何人泣いてくれるのか。

それは、どれだけ技術や知識があったかに関係ない。

 

わたしは、得た知識や技術を失ったり、誰にも負けない何かがなかったとしても、

人間関係だけは本当に大切にしたいな、と思う。

きっと最後まで残るから。

自分が捨てない限り残るから。