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パンケーキはブスの食べ物

あくまで可愛いのはパンケーキであってわたしではないのだ。

嵐全国ツアーTHE DIGITALIAN落ちた件

おちました。

 

いつも一緒にヤンヤヤンヤしている4人で応募し、4人とも落選。

全員とも名義が生きている上、新規の豆子という布陣で

平日東京ドームと1口オーラスを応募して

あっけなく、「チケットをお取りすることが出来ませんでした」のメールが届いた。

 

もう、辛くてな。

つらかってんわたしは。

新規は当たりやすいときいていたから、行けると、行けて当たり前だとさえ思っていた。

 

ハワイのLVは一般だったから無理だった、と自分の中に言い訳を見つけた9月。

10月、会えないことが確定して私はどう自分に言い訳すればいいのか分かっていない。

 

 

twitterには「譲ってくださいませんか」「同行者いませんか」「交換しませんか」とチケツイが流れてくる。

みんなみんな会いたいのは同じ。

そして譲る側も会ってほしいんだ。

 

そんな中、オークションに転売されていて。

twitterでも「いくらで取引できるのかDMでやりとりしましょう」という人もいて。

 

平等なはずの抽選は、ファンによって不平等に変わる。

悲しくなる。

 

5人が遠くて、辛くて、キラキラしているのがよりいっそう悲しい。

担降りするひとの気持ちはきっとこの「落選」から始まるのだと、気付いた。

 

 

 

落選したその瞬間から1日中、落ち込んでいた。

1日中考えてた。

 

何か好きな事、譲れないこと、夢中になれることがあるとき、

それを1人で楽しんでいると「一通り気がすんだから」で飽きてしまう。

たとえば好きなアーティストのライブに行けたとする。行けなかったとする。

そうしたとき、1人だったらきっと感情の起伏も穏やかで、

「行けた」「行けなかった」って事実だけが自分の中に残る。

行けなかったとしてもよっぽど宗教的に信仰していたり身内であったりしない限りは、たいした精神的ダメージはないし、

行けたとしてもその瞬間に楽しかったという充足感で満たされて、現実に戻る。

 

結局、何が大切なのかというと、

誰かと空間、時間そして何より想いを共有するということ。

だから基本的に試写会やライブは2人1口で応募がスタンダードである。

 

 

そういう「誰かと共有できる環境」を得るのが実は一番難しくて、

そして一番恵まれていることなのかな、と思う。

 

今回私はツアーに行けないけれど、

あらしっくの後輩女子たちと

部屋でDVDを見て、録画を見て、LINEでテレビや雑誌のニュースに一喜一憂して、アルバムの感想を言い合って、

ヤンヤヤンヤ二宮くんへの愛をしゃべりつづける。

 

それがいちばん楽しいし、そしてその先にきっとコンサートがある。

自分たちファンの「楽しい」気持ちと、嵐5人たちの「楽しい」気持ちが共有できる空間、時間。

いつか共有できますように。