パンケーキはブスの食べ物

あくまで可愛いのはパンケーキであってわたしではないのだ。

卒論を書いていて考えたこと

突っ込みどころ満載なので論文にはほぼほぼ書かない予定です。所感。

 

「大学時代に得られるのは学ぼうとする姿勢であったりとか、好奇心とか、サークルでそれこそ得た自分から行動する能力とかが社会に出たとき必要なのであって。だから上級生が新入生に与えてあげるキャリアって言うのは、自分が興味持ったことに進んでいける行動力である」

 

「企業もパーソナリティ重視でスキルは企業個々のものであるから、入社してから教育すればいいと考えている。必要なのは判断力や行動力、コミュニケーション能力、ある程度の教養などの素養であるため大学にも大学生にもそういった部分の教育は求めていない。」

 

前者は学生の発言、後者は教授の発言

 

「企業が求めていること」「自分たちが求められていること」に

気付いているかどうかで、学生の物事への吸収力は大きく異なってくる。

結局のところ、、職業の場から見下ろしても教育の場から見上げても

「大学」はパーソナリティを育てる場でありスキルを育てる場ではないということ。

 

 


研究者の道へ進むとしても同じことが言える。

大学のうちから大きな成果を上げられる人材はごくわずかである。

学部生の中で学ぶべきは「物事に取り組み気付きや学びを得ようとする姿勢」や「curiosity」、情報の取捨選択、そして幅広い教養。

 

座学で得られるものばかりではなく、最後のモラトリアムとして余裕ある時間をどう使うかということ。

テレビやインターネットばかりではなく読書をし、その頭に引きだしを多く作らなければ、大学というコミュニティを出たときに「役立たない人間」としてレッテルを貼られる。

「大学で何を勉強してきたんだ」と言われる。

 

 

universityとcollegeではそこの部分に差が見られる。

文理体育関係ない豊かな引出を作る環境をある程度整えてくれているのがuniversityである。

特に東大、京大、旧帝大などの高偏差値大学は教授や文献をそろえた上でなお、安価に通える環境を整備してある。

高校生のときに偏差値至上主義で何も考えず上を目指した学生がいたとする。

それでも大学生になってから自分の環境がいかに恵まれており、自由に失敗を恐れず行動できるということに気づければ問題なく社会や大学が求める「正しい成長」を得られるはずである。

逆に学歴ばかりを鼻にかけて空っぽになってしまうことがいちばん恐ろしい。

「大学で何を勉強してきたんだ」「金を無駄にするな」と言われる。

 

 

collegeでは単科大学であるため、universityに比べると得られる教養の限界がまずスタート時点で見えてくる。

医科歯科大や東京理科大防衛大学校気象大学校などの高偏差値帯でなければ文理体育のべつまくなしの知識を得ることは学生個人の努力次第になる可能性が高い。

 

またcollegeは職業人を育てる教育に比重を傾けることが多いため、インターンシップや実習など実践教育がカリキュラムに目立つ。

「看護師」「管理栄養士」「臨床心理士」など医療従事者や理系研究職を育てる畑。

専門特化しているためにそれに必要なすべてをそろえ、スペシャリストを育てる。

あるいはPCソフトの使い方やプログラミング、礼儀作法、女の子の化粧などの社会に出たとき役立つ即戦力をわざわざ授業で扱う。

これは広く浅くで最低限の武器を学生に持たせ、ゼネラリストの土台をつくる。

(universityでそういったゼネラリスト教育が行われないのは学生個々の能力が高いため何十時間も何百万円も費やさなくとも学生個々が勝手に学んでくれることを想定してあるからだそうだ。とくに国立大学法人が期待する学生像は現実とかけ離れていると思う、)

日本の特徴として、漢字4文字の大学はある程度偏差値帯が低いとパッと見でわかるようになっている。定員割れもしている大学もある。

 

東京工業大学国際基督教大学、東京芸術大などの例外ももちろんある話。

 

自らの将来をある程度高校生のうちに考えられているならcollege、

よくわかんないけどとりあえず大学生になろうというならuniversity向きである。

 

 

受験に際しては自分のランクに合った大学を選べばよいが、社会はなるべく高い学歴を好む。

学歴フィルターがある。大学名だけである程度判断されてしまう。

だから自分のランクをもともと高めておく必要が中学・高校の段階で存在する。

そこで失敗してしまうと、巻き返しを図るのがいっそう困難を極める。

弱者や敗者になりやすくなる。

その立場から物事を言っても、負け犬の遠吠えとして聞き入れてもらえない可能性が高い。

 

 

大学に入ったから安心ということは何もない。

 

そういう時代に生きている。

ゆとり教育を受けてきたことも含めて。

 

教育の場から職業の場への橋渡しは日本の課題である。

 

就職活動の中で自殺者が出てしまうのも構造上の問題と言える。

しかし今までそういう労働に関する自分の価値観を育てていなかったり、社会に出たときのことを考えてこないまま大学生となり、

ダラダラなんとなく過ごしてきたこと、恋愛やバイトや遊びに時間を費やし将来を考えてこなかったことを考えさせてくれる時間を、就職活動は無理やりにでも用意する。

平均年齢は80歳を超えた社会、そして今後没落が見えている経済、不安定なまま強力な経済と過去の貯金にすがり続ける政治の中で、

残り60年生きるためには大学生のタイミングで将来をきちんと考えなければならない。

どんなに辛くても、半年や1年程度自分の引き出しをすべて使い切って将来を考えれば、今後60年がある程度決まる。

こんなに費用対効果が大きい時間はおそらく学生のみにしか与えられないはずである。

 

 

本当に「就職活動」は絶対悪なのか。

「偏差値至上主義」は必要悪ではないのか。

考えることを辞めた学生たちにてっとりばやく考える機会をあたえるため、勉強する機会を与えるために生まれたシステムではないのか。

 

 

日本は貧しい国である。

この国では賢い人間が豊かになり、バカが貧しく搾取される構造が1000年以上続いている。

少しでも賢い人間になるために、広い視野を持ち素直に吸収し、取捨選択を自分の価値観に基づき判断していく練習を。