パンケーキはブスの食べ物

あくまで可愛いのはパンケーキであってわたしではないのだ。

「目の前のことを頑張れないやつが、何を頑張れるんだ。」

今年就活をする友達に「まめこがJAXA書類通ったのが心の支え」って言われた。

 

TOEICノースコア、留学経験なし、千葉大文学部学部卒女子」が

「男子」「東大」「京大」「一橋大」「東京外語」「筑波」「大学院卒」ばっかりが集う10人の枠にチャンスをつかめるんです。

それはわたしが実証した。

 

女子で、学部卒で、地方国立。

宇宙になんら関係のない畑の人材に、JAXAは「会ってみよう」という選択をした。

 

意識が高い、低い、能力がある、ない、格好いい、可愛い、ブサイク、ダサい、そういうのは全部自分以外の誰かが決めることだ。

私たち選ばれる側は、見定められる側に立った人間は、

とにかく自分を見せたい側面を見せられる限りで見せて、判断してもらう時間を待てばいい。

待つしかできないけど、大概は待てない。

待てないどころか、挑戦すらしない。「逃げる」とも言う。

自分で「挑戦するか」「挑戦しないか」を選べる身分ならまだまし。

挑戦する権利さえ、与えてもらえないときだってある。

 

それは、おそらく、「自分のやりたいことをやるために努力や我慢ができる人間かどうか」が大事なのだと思う。たぶん。

それを簡単に見定められるのが、学歴。

 

今年、後輩や留学していて1年遅れの同期が就活を始める。

ESを添削したり、自分の経験談を話す機会が毎週のようにある。

幸いなことに、千葉大学は世間一般では上の方の扱いをしてもらえている。

だから、学歴フィルターで切られて挑戦すらさせてもらえない、なんてことはほぼほぼない。(日本銀行やアナウンサーは別)

日本テレビだって、ソニーだって、オリエンタルランドだって、JRだって、リクルートだって、グリコだって、日産だって、三菱地所だって、みずほ銀行だって、JALだって、ロート製薬だって、朝日新聞だって、電通だって、教師だって、金融庁だって、防衛省だって、内閣府だって、なんだったら、JAXAだって。

 

1年前は気づけなかった。

目の前に可能性がいくらでもあって、それらが見えないドアになっていたこと。

私は気づけなかった。

鍵が手元にあることも、ノックすればあけてくれることも。

 

 

 

なんのために、この大学を選んだのだろう。

 

学歴を金で買ったのかもしれない。

買ったくせに、使わなかった。

使い方を知らないまま、4年生がもうすぐ終わる。

 

勉強するためだったのかもしれない。

分かっていたくせに、向き合わなかった。

卒論をとりかかって初めて、

豊かな図書館と教授と真面目に取り組めば働く自分の頭があることに気づいた。

教授は、懺悔文と共に卒論を提出した私へ

「最後の最後に、この大学に来たことは無駄じゃなくなりましたね」とメールを返した。

 

 

手持ちのすべてを武器にする。

それはとても難しいこと。

自分が何を持っているのかさえ分からない時ばかり。

だから、とにかく突っ込んでみること。

まずは挑戦できる限り挑戦していくこと。

失敗が許される時間のリミットは、きっとケーキが腐るのとそう変わらないスピードで訪れる。

 

まずは、まずは。

考えるよりも行動すること。

実践していく中で、精一杯アンテナをはって、誰の考えがどこへ向かっているのか考えたり、誰がどう動いているのか、真似したりすること。

そして、その中で自分の技や強みを見出していくこと。

 

 

実践共同体の中における、状況的学習。

 

 

そんな論文を書きました。

全ての出来事は、自分にとって無駄じゃない。

気付けるか気づけないかの違いで、物事や事象の価値は大きく変わる。

私たちは本当に、本当によく考えずなんでも捨てる。

でも、ちょっと待って。

 

勉強がたるい?最低限の成績がとれればいい?

バイトがつらい?人間関係が億劫?

そうじゃない。ちがう。

そういう中で我慢すること、自分から取り組んでいくことを、学ばなきゃいけない。

そしてその技能や知識を内在化させて、自分の武器にしなくちゃいけない。

 

一生懸命挑戦した先に、一生懸命目の前のことから吸収した先に、

どんな未来がつながるのか。

そのとき、どんな自分になっているのか。

意識が高い、低い、能力がある、ない、格好いい、可愛い、ブサイク、ダサい、そういうのは全部自分以外の誰かが決めることだ。

 

挑戦させてもらえるチャンスがあるなら、飛びついて行かなきゃいけない。

そして何かを必死になって掴んでこなきゃいけない。

 

「目の前のことを頑張れないやつが、何を頑張れるんだ。」