パンケーキはブスの食べ物

あくまで可愛いのはパンケーキであってわたしではないのだ。

相葉雅紀から学ぶ「実践」の重要さ

 

良い番組だったよね。

エラい教授がわかりやすく難しい言葉を解説してくれるっていうのはとってもタメになるしありがたいけれど、

こういう風に自分たち「知らない」側に近い存在が

自分たちの代わりに実験してみることで難しいことを目でわかるようにしてくれるっていう素敵な番組だった。

嵐5人のリアクションも含めて、可視化されていた。

いつの間にか、実験で知る「知らない世界」ではなくて、実験を通して見えてくる「嵐5人の世界」が好きになっていた。

 

 

小学生の自由研究も

書初めも

中学生の読書感想文も

高校の大学受験も

大学の卒業論文も、

「できることなら避けたいけどやんなきゃいけないから頑張らざるを得ない」っていう、諸々の類。

時に私たち生徒は、時に手抜きをし、親や優秀な学生、もしくはインターネットに頼る。

 

でも、待って。

「努力した」っていう実践が大事なんじゃないのか。

本来求められているのは、「自分の手や頭を使って努力する」っていうその体験する時間が、大事なんじゃないのか。

それが、本来あるべき教育なんじゃないのか。

 

「文章を書くこと」(書初め、作文、感想文、レポート、エッセイ、論文)や、

「実験」(自由研究、図画工作、卒業研究、理科、調査)

を頑張ってみて何かのコンテストで受賞する、展覧会に出展される、先生に褒められる、というのは結果的な褒賞である。

その褒賞が目当てになって、親が横取りするのは絶対的に「間違っている」し「悪」だと思う。

 

子供の成長を妨げる。

知的探究心、試行錯誤、文の書き方も字のきれいさもそうだし、

何かを予想してそれを確認する段取りを踏むのもできなくなる。

発想力、誠実性、集中力、創意工夫、関心意欲態度、

そーゆうのを獲得するチャンスが減っちゃう。

 

なあ、「勉強」を手抜きしてよかったか。

流れついた先に「それどこの大学?」「その会社知らない」「仕事できない」「くちばっかりでなんもしない」「なんもできない」ってイヤな評価されて、よかったか。

若いころに揉まれず、苦労もせず、ピーピー泣きついて、逃げて、よかったか。

 

頼ることはうまくなるかもしれないけれど、いつか大人になったとき誰かを支えたり頼られたりすることは下手になっちゃうんじゃないのかな。

 

 

 

後輩女子から借りたCDGの嵐のDVDを見ている。

 

相葉雅紀液体窒素になんでもかんでも(薔薇、ゴムボール、歯磨き粉、ラーメン的なね)突っ込んでるのを見て、やっぱり知識だけじゃなく経験って大事だよなぁ~って。

 

どんなに、机に向かうような勉強ができなかったとしても、

自分の手や体で実践して知ったことは宝物や武器になる。

先行研究があるとか新しい発見ができるとか、そういうのはプロ研究者じゃないんだからどーだっていいの。

まず自分の手を動かすってことが大事なのだと思う。

 

 

 

これは卒業論文に本気の100%を出して、

自分の限界に挑戦した中で気づいたことでした。

学部賞が取れる、単位が最低限取れる。

そういう打算的な戦いじゃなくて、とにかく自分のやり方で自分の限界と、戦ったなあって。

 

そんなことを考えてた。

 

いま、わたしは22歳。

ちょうど嵐がいまの私と同じ年頃だったときの映像を見ている。