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パンケーキはブスの食べ物

あくまで可愛いのはパンケーキであってわたしではないのだ。

理論より実践

卒業が確定した。

卒論発表会後の祝賀会にて、「今年度の学部生は全員合格です」と教授から言い渡された。

私は社会人になれる。

 

卒論のテーマはキャリア支援についてだった。

文化人類学の畑にいるのに、社会経済学にも食指を伸ばしたものだから大変だった。

学際的な論文に落ち着いた。

クオリティはもちろん低い。

 

 

卒論発表会はとりあえず頑張った。

 

パワーポイントもきれいに仕上げて「発表というよりプレゼンですね」と嫌味を言われるほどのものだった。

学部1年生や2年生からは「一番わかりやすかったです」と褒めてもらえた。

私は院生や教授向けに作ってない。そういう論文を読める「オトナ」向けに発表したって、新しい何かは育たない気がしてた。

だから、ゴールは達成できた。後輩たちに評価をされる、というのが重要だった。

私を反面教師にしてくれていい。

他の学部生が淡々と卒論の要約を目指す中、ひとりでバラエティ番組みたいな発表をした。

その発表の仕方が間違っていたとしてもいい。

 

なんでもよかった。ただ、他の人の心を動かせれば、よかった。

どうせ学者にも教授にもならない身だ。

そんな分際が立派な論文を書き上げてお高くまとまったところで、何も食えない。

人の心に訴えかける実践が達成できる。そっちのほうがよっぽど重要だと思ってた。

自分のやれる範囲内でやるって、たぶんこういうこと。今の私にとっては、後輩に向けて「学業って意味ないとか思ってるかもしんないけど実は頑張ったらいいことあるんだよ」って伝えられればよかった。

私は勉強を手抜きしたぶん、後輩が同じ道にならないよう担保できればよかった。

 

 

閉鎖的で自己満足の世界にこもっているこの胡散臭い学問分野を外に開かなきゃいけない、って感じてた。

心のどこかで、ずっと。

「学業を別の実践に応用していくことができると思う」と発表する張本人が、

学業を学業にしか活かせないんじゃ格好がつかない。そう思った。

 

 

15分の発表を終えて、質疑応答の時間。

院生の見た目30歳くらいの女が質問を投げた。

そのあと教授が質問を投げた。

その際、教授は「文化人類学的にはまったく理論もあてはまっていないんですけど」と枕詞を吐いた。

見えている。覚えてる。

後ろで、さっき私に質問をした院生が馬鹿にした笑い方をしたことを、私は一生忘れない。

 

私に質問した教授は「卒論はとりあえず書き上げればなんでもいい」と発言していたときがあった。

書き上げればなんでもいい、と自分で名言したくせにそうやって質疑応答のときだけ教授の顔をするのやめてもらっていいですか。

そしてそういういい加減な教授の指導不足のおかげで、私、ブスな院生に笑われてるんですけど。

書き上げればなんでもいいって指導してんだから、そういうスタンスを聴衆にも理解してもらっておいてくれなきゃ困る。

なんであのブスは私を嗤ってきたんだ。悔しいな。

てめえのアタマはそんなに社会的な貢献を成せる高尚な内容になってんのか?

私は論文で書けないから新入生の大学4年間や就活生の就活支援でなんとか社会に還元できれば、と実践してんのに、そんなに理論が大事か?

 

 

手に取られもせず、読まれもせず、書庫にたまるばかりの薄っぺらくてとってつけの理論でまとめあげられた卒論たち。

どれだけお高くまとまっても、それが誰かの心や行動や世の中や「社会」に何らかの働きかけがなされなければ、ただの紙に過ぎない。

 

 

理論と、実践。

どちらが、ひととひとが関わる「あいだ」において大事だろう。

私を嗤ったあの女の顔だけ、きっと一生忘れない。