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パンケーキはブスの食べ物

あくまで可愛いのはパンケーキであってわたしではないのだ。

「人の数だけ考え方や答えがある」

1年間卒論指導をしていただいた教授が言っていた。

 

誰かにとっての正義は、必ずしも万人にとっての正義とは限らない。

 

講座の謝恩会があった。

 

京都府出身の同期が、

京都市内の人間はプライド高いし、自分たちに代表性を持たせて市内だけの文化をさも京都全体の文化であるかのように本質化してしゃべるから、私も同じように見られたり立ち振る舞いを求められて辛い」

と言って、文化人類学者と盛り上がってた。

 

「わたしたちが普段見ていたり『これはこうである』と捉えている実体は本当の姿としばしば違ったりする、津軽弁喋れなくても青森県民は青森県民だし。勝手な幻想の押しつけと自分たちの思い込みほど怖いものはない」

そんな旨を教授は話していた。

 

思い込みって、こわい。

周りから言われないと気付けないという事実が一番おそろしい。

裏を返せば、「周り」がいなかったら、一生そのバイアスがかかったままであるということ。

何も相対化できず己を客観視できず生きていくってヤバイ。

最終的にはお互いを理解し合えなくて戦争が起きる。

 

 

日本人。

僕らは宗教ちゃんぽん、神道も仏教も「宗教」ではなく「儀礼慣習」である。

クリスマスもハロウィンもイースターもバレンタインも「イベント」であって、「宗教」じゃない。

そんな僕らは宗教の国家、民族の気持ちなんて本当の意味では分かってあげられないのである。

 

「分かり合えない」という現実のみ残る。

その「分かり合えない」気持ちを「分かり合う」しかないのである。

 

そうして発生したこと、連鎖して発生したことのがISISのアレだったり、イスラムをとりまく悲しい一連のニュースだった。

結局「自己責任」で他人事。

(まあ実際、ユカワハルナさんは自己責任だったと切り捨てられても仕方ないのかもしれないくらいのノリで中東行ってた気がするけど。)

 

相手は自分と全く考えも価値観も違う他人、であることをしばしば忘れてしまう。

つい自分の考えが正しいと思い込んで、押しつけてしまう。

だいたい統計学社会学、経済学なんてまるで根拠にしない。

自分の経験という狭い視野から引っ張り出した答えが、万事絶対正義であるはずなんて、ありえない。

 

私にとっての「優しい」と「正しい」は、誰かにとって「優しくない」と「正しくない」かもしれない。

人の数だけ考え方や答えがある。

相手の物差しと自分の物差しを混同せず受け止められるヒトになれますように。