パンケーキはブスの食べ物

あくまで可愛いのはパンケーキであってわたしではないのだ。

『母と暮せば』はオタクでヤングな池袋でも二宮担とおじいちゃんおばあちゃんで溢れていた

※ネタバレ含みます

現実はいつだって思い出には勝てない。

若いころの吉永小百合を探しに来ていた人も、いたのかもしれない。

 

お正月休暇の最終日、「母と暮せば」を池袋へ見に来た。

 これが吉永小百合と主演する、ということか、と強く目をつぶる。

暗い劇場の中は、いつもの池袋ではなかった。

 

池袋は通常、アニメを御贔屓にしているので、

映画館も年齢層が若くアニメアイコンだろうオタクが多数を占める。

 

『母と暮せば』は様子が違った。

白髪の老人、帽子を被った老夫婦、杖をつく老婆、おじさん、二宮担×2、カップル…

といった並びでどの座席も埋まる。

 

吉永小百合さんが好きなのだろうか。

山田洋次監督が好きなのだろうか。

終戦70周年だからなのか。

ああこの子は間違いなく二宮担だな。(若いから)

 

きょろきょろしていれば時間も経つ。

開始5秒。画面には「吉永小百合 二宮和也」の文字。

もう泣いちゃう。

 

オイオイと声を上げて泣きながら見るほうが、よっぽど楽だったと思う。

 

 

浩二(にのちゃん)は原爆で死んだ。

幽霊となって母さんの前に表れた。

自分が死んだことは分かっているのに、受け入れられなかったんだよ。

母さんに未練タラタラで、フワフワと現世へ現れてきてしまったんだ。

 

浩二の元恋人、町子は生き残って小学校の教師になった。

心に大きな穴を抱えて、別の男と婚約した。

浩二の母さんの元へ、挨拶に来た。

町子は泣いた。「どう浩二さんに報告したら」と泣いた。

結婚するっていうのに!余命1か月の花嫁でもないのに!町子は全然笑わないんだよ。

可哀想だったなあ。

 

誰も彼もが可哀想でならない。

可哀想、という言葉でのみしか触れられないのだ。

 

 

現実はいつだって思い出には勝てない。

 

「浩二はよく笑う子だったから」と、幽霊の浩二を目の前にして懐かしい話を母さんはする。

浩二が自室へ戻り、レコードを手にすれば、町子との幸せな思い出がよみがえる。

レコードへ涙を落とす。

浩二の部屋へ行った町子が、浩二と腕相撲をしたことを思い出す。

かゆくなるような幸せの中、2人が微笑みあう。

町子は泣いた。

 

思い出に勝る幸せをつかむためには、前に進むほかないと浩二たちは信じていた。

だから、母さんは、町子に浩二たちを忘れ、他の男と幸せになるよう訴えた。

その言葉の通りに、町子は婚約者と連れ添うことに決めた。

 

終盤、母さんは「浩二が死んでから何も幸せに感じられなくなった」と浩二へ言う。

それはきっと町子も、上海のおじさんも同じことだった。

町子は回想の浩二の隣でばかり笑っていた。婚約者の黒田先生の隣では、一切笑わない。

上海のおじさんも無理して笑ったのち、戸を閉めて溜息をつく。

本田望結ちゃん(お父さんが戦死、おじいちゃんも病気、お母さんも亡くなり妹がいる小学2年生の役)は言いつけをしっかり守って泣かなかった。

 

現実世界で生きる人間が一切笑わないのである。

明るく生きよう、貧しい時代だけど、強く支え合おう、なんて気持ちが微塵も感じられないのである。

これにはさすがに三丁目の夕日だって沈みっぱなしである。

 

近所のおばさんはたった一人で布団の中冷たくなる母さんを見て「可哀想に」と言うが、これは近所のおばさんのセリフではなくて、私たち原爆を知らないニンゲンを代弁しているように感じた。

 

結局、想像でしかないのだ。

原子爆弾によって、戦争によって愛する人を亡くした人々の

当事者の気持ちなんてわからない。

だから何度だって祈るし、劇中に何度も「可哀想に」という言葉が出てくる。

 

「可哀想に」、という突き放した言葉。

第三者だからこそ言える言葉。

 

 

この映画に対する感想も「可哀想」の一言に尽きる。

現実はいつだって思い出に勝てない。

それを理解し、強い気持ちで立ち向かうこともできず、母さんは死んだ。

 

教会にて鎮魂歌を捧げられる母と浩二が陽だまりのように微笑んだシーン、

すすり泣く声がそこかしこから聞こえた。

映画の中が、私たちを置いて勝手に思い出側になってしまった。スクリーンのこちら側の私たちは、誰も笑えなかった。

 

浩二と同じ世界に逝き、幸せそうに微笑む母さんを見て、「生きることは幸せなこと」だと、誰が言い切れるんだろう。

 

誰も救われない。誰も幸せにならない。

戦争はそういう現実を作った。思い出に勝てない現実を作ってしまった。

 

 

二宮くんは本当にいい役者だと思った。

愛される存在であるアイドルが、誰からも「可哀想」だと思われる演技をした。

いつまでもお弁当をちょろっと残してゲームばかりして、たまにスキャンダルを撮られて、ニコニコ笑いながら、嵐としてダンスと歌と演技を特訓するアイドルであってほしい。

 

いつだって思い出を超えていく、二宮くんでありますように。

笑う顔のよく似合う、二宮くんでありますように。